「私立高田訓曚(くんもう)学校」(後の高田盲学校)は、日本で三番目の盲学校として明治24年(1891年)に設立されました。
本展では、当館が参画した「守れ文化財 モノとヒトに光を灯す」事業(文化庁Innovate MUSEUM事業、中核館は新潟県立歴史博物館)の成果とともに、視覚障がい者教育の先駆けとなった高田盲学校の歴史や貴重な教材資料について紹介します。
特集展示「高田盲学校資料展」ポスター [PDFファイル/570KB]
令和6年3月29日(金曜日)~6月16日(日曜日)
午前9時から午後5時
(注)入館券の販売は閉館時間の30分前まで
(注)4月以降の観桜会期間は午後7時まで延長します
月曜日(祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日
(注)観桜会・ゴールデンウィーク期間は無休
団体割引、減免、市内文化施設との共通入館券等の詳細は、ご利用案内「入館料」をご覧ください
特殊な紙に押し刷りした凸字印刷による教材。明治2年(1869年)に「西洋では厚紙にほどこした凸字が使われている」と、日本に紹介される。明治9年(1876年)には、津田仙(つだ せん)が視覚しょうがい児に凸字の書を教え、職業を得られるようにするための「楽善会」を設立することを「農業雑誌」に記している。明治23年(1890年)に日本の点字が制定され、普及していくにつれ、凸字書の教材や郵便物は少なくなっていく。
(明治期、上越市所蔵、大きさ:縦25.0センチメートル・横32.6センチメートル、紙製)
明治23年(1890年)に創刊された凸字印刷雑誌の第2号(同年5月1日号)。発行は、浅草・大庭伊太郎(おおにわ いたろう)。凸字を印刷した厚紙を八つ折りした8ページの誌面に「塙保己一伝」などが掲載されている。カタカナ横書きで最初は左から読み、行末で次の行は右から読むという型式で、工夫の跡がみられる。
(明治23年(1890年)、上越市所蔵、大きさ:縦14.3センチメートル・横22.1センチメートル、紙製)
厚紙で切り抜き文字をつくり、ウルシを塗って木片に貼った「漆文字」。カタカナ、ひらがなの五十音、漢字が500枚以上、整理箱に収められている。高田盲学校の名誉教員(外部講師)の松本常(まつもと つね)が明治27年(1894年)に制作したという。
(明治27年(1894年)、上越市所蔵、大きさ:縦26.6センチメートル・横47.0センチメートル、木製)
小さなマスの中の四隅を意識し、1文字ずつ書くことができる。凸字で字の形を覚えたあとに、自ら書くための道具。
4列12行、48マスで構成されていることをふまえると、
いろはにほへと ちりぬるを(12文字)
わかよたれそ つねならむ(11文字)
うゐのおくやま けふこえて(12文字)
あさきゆめみし ゑひもせす(12文字)
という、いろは47字の練習に使用したのかも知れない。
(明治期、上越市所蔵、大きさ:縦20.5センチメートル・横6.7センチメートル、金属製(銅製))
本資料は戦後の資料だと思われるが、明治24年(1891年)にひらかれた上越教育品博覧会に、私立訓曚(くんもう)学校より算盤や凸字などとともに「盲人字ヲ書クニ用ユル器械」が出品されている。また明治34年(1901年)の「高田栞」によると、明治26年(1893年)ころより同校で「点字器械」を使用するようになったという。また、教師の朗読に従って、器械の穴に針を穿ち点字としたことや、東京盲唖(もうあ)学校の生徒と書状を往復したなどの記載がみられる。
(戦後、上越市所蔵、大きさ:縦10.0センチメートル・横29.4センチメートル、木製)