七ヶ所新田地蔵尊(一枚目)、現地に設置された説明看板(2枚目)
七ヶ所新田地蔵尊は、災難除け(特に矢代川にも近く水難除け)、子授かり、安産、子育て(特に夜泣き)に御利益があると古くから評判で、子育て地蔵尊とも呼ばれ、近郷近在の信仰を集め遠方から参拝する方もいます。
堂内の地蔵には満願のお礼に、名入れの頭巾やよだれ掛けが数多く奉納されています。
天和3年(1683年)検地帳に3.5間×4間の14坪が地蔵屋敷として除地(免租地)と記載されています。地蔵堂は、かつて現在地の南に位置する願通寺境内に隣接していたそうですが、明治41年(1908年)に七ヶ所新田村の神明社が大和神社へ合祀した際、神明社のあった現在地に移され、台座も神社のものを利用したとされています。
板石地蔵菩薩1軀と地蔵菩薩1軀については、平野団三氏らの調査でそれぞれ南北朝時代、戦国時代の作とされています。
地蔵尊の管理は、旧七ヶ所新田村の家からなる大和1丁目内の任意自治組織「七ヶ所新田区」が担い、毎年4月24日には地蔵まつりが行われています。地蔵まつりは、地蔵尊に草餅を供え、法要後に豆腐とえんどう豆を肴に田植えの相談事などが賑やかに行われ、参拝者にはえんどう豆が布施されていました。現在は、草餅を供える習慣はなくなり、参拝者にはグリーンピースがふるまわれるといいます。
やまとこどもの家と隣接しており、日頃から子どもたちを見守っています。
大和1丁目町内会七ヶ所新田区
村の地蔵尊の歴史は、天和3年の検地帳に記載されています。
災難除け、子授かり、安産、子育て地蔵と呼ばれて近隣近郷の信仰を集め、遠くからお参りされて満願のお礼に名入りの頭巾やよだれ掛けが奉納されています。
昭和58年の学術調査で南北朝時代の板石地蔵、戦国時代の地蔵菩薩の重要な文化財です。
平成2年お堂の改築工事、4月24日落慶法要を行った。以来この日に地蔵尊祭りを続けています。
これからも地域の宝として守っていきます。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。