東屋やベンチが整備された恵信尼公顕彰公園(1枚目)、恵信尼公があつらえたとされる「七尺の石塔」を模した五輪塔(2枚目)
「恵信尼公御臨末の御法語」が描かれた石碑(3枚目)、京都顕真学苑主の梅原真隆氏が参詣した際に感激して歌われた歌が刻まれた歌碑(4枚目)
この公園は、昭和5~7年(1930~1932年)にかけて、地元の長藤正司を中心とした栗沢集落の住民が一丸となり、田井集落の長光寺、針集落の浄覚寺、南本町の瑞泉寺の各住職ら協力のもと、「恵信尼公寿塔公園」として建設したものです。
公園が建設された背景には、大正10年(1921年)、西本願寺宝物庫から「恵信尼公十通の手紙」が発見され、その解読・研究が行われた結果、晩年を越後で暮らした恵信尼ゆかりの地として、栗沢集落が脚光を浴びた事情があります。
元々この公園の建設地には「恵信尼公のお墓があった」や「栗沢信蓮房の庵があった」等の言い伝えがありました。また、公園の場所からは、晴れた日には親鸞聖人上陸の地、居多ヶ浜まで見通すことができます。
公園の中心には「恵信尼公十通の手紙」の中で恵信尼公があつらえたと書かれている「七尺の石塔」を模した石塔が、五輪塔として建設されています。また、公園内には、昭和10年に当時中頸城郡和田村の横田惣太郎が父の遺言により建立した「恵信尼公御臨末の御法語」の石碑などがあります。
公園は、栗沢集落と東山寺集落の境界の栗沢集落側にあり、管理は現在栗沢町内会で組織される聖の窟保存会により継承されています。
聖の窟保存会
私達は、地域の文化財「聖の窟」及び「恵信尼公顕彰公園」を後世へ継承する目的で、昭和40年代以前に設立した、上越市板倉区栗沢町内会の全世帯で構成している団体です。
「恵信尼公顕彰公園」は1930年代に住民が一丸となって建設した公園であり、その後も幾つかの石板や歌碑が建立されてきています。
現在でも幾つかの団体が毎年参拝に訪れられる地ですので、是非、皆さんもお越しください。背後の丈ケ山への登山道もあります。
上越市「地域の宝」をご覧ください。