校長室に掲げられた校歌(1枚目)、体育館に掲げられた校歌(2枚目)
校歌の歌詞になった歌を詠んだ東久世道禧と島地黙雷に由来する松の木(3枚目)と顕彰した石碑(4枚目)
高士小学校は明治7年(1874年)創立で、校歌は「学校変革史」によると明治43年(1910年)の講堂落成式で最初に歌われた記録が残っていると記されています。
校歌の歌詞は、明治41年に同校を訪れた公家出身の東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)が詠んだ和歌を1番に、翌年同校を訪れた浄土真宗本願寺派の高僧、島地黙雷(もくらい)が詠んだ和歌を2番となっており、全く別人が詠んだ和歌を1番と2番として、雅楽調に歌われている貴重な校歌です。
東久世通禧は親交があった当時高士村長の川上善兵衛の求めで訪れたもので、島地黙雷は勅語奉読会に訪れています。二人とも、小学校敷地内での松の植樹の折に和歌を詠んだとされ、現在も学校敷地内にそのゆかりの松があり、大切にされています。
作曲者は不明ですが、昭和30年に当時の新潟大学教育学部高田分校の小山郁之進教授により一部が改められています。
在校生はもとより、高士小学校卒業生、地域住民及び高士小学校に在籍した教職員にとっても記憶に残る校歌となっており、小学校の行事や地域行事などで歌われています。
上越市立高士小学校後援会
令和6年に創立150年を迎える高士地区高士小学校後援会です。
「君が代のときわの松」から始まる校歌は明治41年に制定されました。明治41年東久世通禧伯爵が第1章、翌42年島地黙雷浄土真宗本願寺派僧侶が第1章だけではかわいそうと第2章を来校された時に読んだ和歌を歌詞として、雅楽調のゆったりとした明治レトロが漂う調べで、110余年住民の「心のふるさと」として愛されている全国的にも珍しい校歌です。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。