田井船着き場跡(1枚目)、休憩所が設置された堤防(2枚目)
7.11水害を契機に設置された船つなぎ石を模したモニュメント(3枚目)と川舟を模したベンチ(4枚目)
堤防に植樹された桜並木(5枚目)、船着き場跡は地域住民の憩いの場となっています。(6枚目)
江戸時代、船着き場があったと伝えられる場所です。
当時、現在の板倉区域には8か所の郷蔵があり、毎年12月までに隣接する村々から年貢米が郷蔵に納められ、雪解けを待ち、春に田井船着き場へ運ばれ、そこから今町湊(直江津)へ川舟で運ばれ、北前船により江戸へ廻米されたとされています。
関川の様子は当時と現在では河川改修などで異なっており、船着き場の位置も特定はできませんが、現在河川敷公園となっている一帯が船着き場跡として伝えられています。
船着き場跡には、平成7年の7.11水害を教訓に人と関川との関わりを深めることを目的に「船つなぎ石」のモニュメントや船をイメージしたベンチなどが設置されています。また、同じ時に堤防に500メートルにも及ぶ桜が植樹されました。
田井船着き場跡は景色がよく、特に桜の時期などは地域住民をはじめ、多くの方が散策や運動などに訪れています。また、桜はかつて田井町内会の住民が1本ずつ個人管理をしていましたが、現在は町内会にて草刈りや清掃などの環境整備を行っています。
田井町内会
近くを流れる関川の当地区内にかつて船着き場があり、江戸時代から明治の半ばまで米俵を積んだ船が運航され、直江津湊から日本海の荒波を乗り越え、遠く江戸まで運び込んでいました。
現在、その痕跡は残っていませんが、歴史を後世に伝えるため、堤防上に船をつなぐための「船つなぎ石」、河川敷公園には「船をイメージしたベンチ」のモニュメントが置かれると共に、柳や500メートルに及ぶ桜並木が続いています。
一帯は風光明媚で、ウォーキングやジョギングコースとして多くの人に親しまれ、春は満開の桜と雄大な頸城三山(妙高山、火打山、焼山)の残雪とのコントラストは絶景、最高です。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。