天神社(1枚目)と祭礼の様子(2枚目)
境内地に並ぶ6基の祠(2、3枚目)
田井字国分寺地内の神社です。
祭神は「天」の付く神(天穂日命、天児屋根命、天香山命)のいずれかとされていますが詳しくはわかっていません。大正3年(1914年)に集落内に点在していた5社を天神社境内に合祀したもので、祠は寛政5年(1793年)の天神社、弘化4年(1847年)の諏訪社、嘉永7年(1854年)の神明社2基、年不明の八幡社のほか、関川堤防にあった関川水神の祠、計6基が並んでいます。
小字名に国分寺とあり、付近に条里制(古代から中世後期にかけて行われた土地区画制度)の区割りがみられ、周辺で古代の土師器や須恵器が採集されることなどから、古代の国分寺との関わりを指摘する説もありますが、定かではありません。
境内地は、かつては神事はもちろん、相撲大会や盆踊り、ラジオ体操、子どもの遊び場として一年中利用されていましたが、現在は春祭りや秋祭りの祭礼、2年詣り、初詣、塞の神などが行われており、地域住民の心のよりどころとなっています。老人会を中心に祭り前に清掃が行われ、町内会では定期的に草刈りなどを行っています。
田井町内会
当集落には大正3年(1914年)に集落に散在していた6つの祠を現在地に合祀した天神社があり、昔から私たち住民にとってかけがえのない場となって来ました。神事は勿論のこと、昔は子ども相撲大会や盆踊り(夏祭り)、子どもたちの夏休みのラジオ体操、遊び場として一年中利用されてきました。
今でも春秋の祭礼、二年詣り、初詣、塞ノ神が行われており、私たち住民の「心の拠り所」となっています。
また、最近、参道を舗装するなど観光整備に努めています。
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