浄福寺本堂(1枚目)、九字名号(2枚目)
浄福寺縁起(3枚目)、子どもたちの地域学習の様子(4枚目)
浄福寺本堂は、明治の大火後の昭和2年に防火を意識して建立されたコンクリート造の真宗本堂です。
エンタシスの丸柱を配した向拝の両脇に、二階建ての建屋を張出しており、和風の洗練された雰囲気とコンクリートによる重厚感を兼ね備えた独特な外観と優美な内観を持っています。
浄福寺本堂は令和3年2月4日、国登録有形文化財に登録されています。
浄福寺本堂には様々な法宝物が納められていますが、特に「親鸞聖人御染筆九字名号」と「浄福寺縁起」は浄福寺の由緒を代表する宝物です。
「親鸞聖人御染筆九字名号」は、親鸞聖人が浄福寺開基である善順(ぜんじゅん)に一夜の宿を求めたおり、親鸞聖人の御勧化(ごかんげ)に預かった善順が信心に目覚めたことに喜び授けた名号です。
「浄福寺縁起」は、浄福寺の成り立ちとして伝わる話が絵で表されています。
内容は、「親鸞聖人が流罪赦免の勅使が来ることを聞き国府に向かう道中、悪天候で柿崎に足止めを食らい一軒の家に宿を求めるが、主人が不在で断られてしまう。仕方なく軒下で休んでいたところに主人が帰ってきて聖人を不憫に思い、女房を説得し、しぶしぶ宿を貸すことになった。その夜、親鸞聖人の教えにより、主人が信心に目覚め弟子となり、聖人の旅立ちについて行こうとするが、聖人に諭され、柿崎に留まり教えを広めることとなる。」というものです。
この浄福寺の報恩講は「お引上げ会(え)」として江戸時代から続き、現在は毎月6月に「お引上げ商工まつり」として、地元観光協会や商工会を中心に地域を上げて催されています。また、法宝物は「お引上げ商工まつり」に併せて広く公開するほか、地元小学校の学習や公民館活動などでの見学を受け入れています。
宗教法人 浄福寺
深い因縁によって、鎌倉の扇ヶ谷出身の源氏の武将井上忠長が、柿崎で親鸞聖人と出会い、建暦元年(1211年)に開基した寺院です。
その時に親鸞聖人から授与された「川越の御名号」と言われる九字名号とその物語を描いたご絵伝が、地域の宝に認定されました。
明治天皇の北陸御巡幸の際には、浄福寺が行在所となり、その御名号を天覧されました。その他に昭和2年に再建立された歌舞伎座をモデルとした本堂は、国の有形文化財に認定されています。どうぞお気軽にお参りに来て下さい。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。