京ヶ岳城跡は、標高約520メートルの京ヶ岳に築かれた中世の山城です。春日山城の支城とされ、城主については不明となっています。
山頂の本丸からの眺望は良好で、北西は櫛池川に沿って広がる深い谷沢を通して三墓山城跡の山塊を見下ろし、西は別所川上流に位置する小嶽城跡を望み、さらに大熊川の天険に位置する箕冠城跡へと山並みは連なります。
本丸から南北に走る稜線は堀で切断し、東側は急峻絶壁の自然地形、西側の緩斜面は山を取り巻くようにひな壇状に数段普請され、山裾は坊ヶ岳へ落ち込んでいます。
南北500メートル、東西100メートルほどの城地に、現在郭が65か所、堀切3か所、竪堀10か所、横堀3か所、土塁が4か所確認されています。
昭和49年12月13日清里村文化財に、平成19年6月1日上越市文化財に指定されています。
京ヶ岳城跡は、地元小学校などが授業で訪れるなど、地域においても親しまれています。城跡の草刈りなど日常的な管理は、地元の青柳自治会が行っています。
青柳自治会
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。