飯田川の堤防に咲く八本桜(1枚目)、古株から八本の幹が伸びている(2枚目
新緑の時期の八本桜(3枚目)
飯田川堤防の桜(ソメイヨシノ)の木。
飯田川は、かつては大きな氾濫を繰り返す暴れ川と言われていました。古老の話によると「上流から流されてきた石のお地蔵様を堤防上に祀ってある」といった話や、旧河川跡の三日月湖の多さなどから、暴れ川であった飯田川の様子が伺えます。度重なる氾濫を防ぐため、大正時代から昭和時代前半頃にかけて、流路をほぼ直線にして両岸に堤防をつくる大規模な工事が施工され、完成の記念に桜が植樹され、桜並木が作られました。
現在ではそのほとんどが枯れてしまいましたが、残っていた一つの古株が成長し、八本の幹(径1.3~1.9メートル)が伸びているように見えたことから、いつしか、「米岡和みの八本桜」と呼ばれるようになりました。
樹形も花も見事で、桜の時期には地元町内会の人をはじめ、町外の人も車を停めて花を見るなど、多くの人たちが花見を楽しんでいます。
米岡町内会や諏訪区内有志で構成する団体である「未楽来(みらくる)すわ」の会員によって、草刈りなど周辺の環境整備を行っています。そのほか、近くで農作業をする人や、通勤途中の人たちがこの桜を気にかけ、絡みついた蔦を取り除いている姿も時々みられるということです。
米岡町内会
私たちの諏訪区米岡町内会は、頸城平野のほぼ真ん中に在り、保倉川の支流である飯田川が流れています。大正か昭和時代の前半頃までに流路と堤防の整備が為され、堤防完成を祝って桜を植えたと言われています。しかし、その桜も昭和の終わり頃までにはほとんどが枯れてしまっています。
「米岡和みの八本桜」は、そのような一つの株跡から偶然に出てきた八本の新芽が偶然に同じように成長したものを、私たちが周辺の草刈り等をして、成長を見守ってきたものです。今では、それぞれの幹周りが90センチメートルを越える見事な8本の成木になりました。
春の花の時期はもちろんですが、花が終わった後の新緑葉の夏、洛陽前の黄色や赤の葉が残る秋、周りが真白になった冬の樹形も見ごたえがあります。場所は三和南線上の三和西工業団地に向かう米岡橋右側の飯田川堤防上です。
是非見てください。
上越市「地域の宝」をご覧ください。