農耕牛馬装削蹄場所跡石碑(1枚目)、農耕牛馬装削蹄場所跡に建つ馬頭観世音碑(2枚目)
現地に立つ歴史を伝える説明看板(3枚目)、農家祭の様子(4枚目)
現在のように機械化が進む前は、農耕の主役は牛馬でした。
弘化3年(1846年)3月建立の「馬頭観世音碑」が立つ稲荷中江用水沿いの「農耕牛馬装削蹄場所跡」は、昭和40年頃までは現在の倍以上の広さがあり、牛馬を繋ぐのにちょうどよい松の大木もあったことから、この地域の人々が飼育する農耕牛馬の日常的な洗い場として、また、年に2回の牛馬の装削蹄場所(爪を切る場所)として利用されていました。地域の人たちはこの場所を「馬頭さん」と呼び、雪が消えて農作業の始まる前に牛を引いて、馬頭さんの前の広場に集まって世間話をしながら爪を切ってもらう順番を待ったりと、人々の交流の場でもありました。
かつては、この地域の馬持ちによる農耕牛馬組合(ソーゼン講)を組織して馬頭さんの祭礼を行っていましたが、現在は農家組合主催で、毎年春耕前の4月18日に、先人を偲ぶとともに、五穀豊穣、無病息災を祈願して、大和神社宮司を招いて、農家祭を行っています。
大和二丁目町内会と大和二丁目農家組合では、看板や町内会報で地域の人たちに歴史を伝えるなどの取組みを行っています。
大和二丁目町内会、大和二丁目農家組合
農耕牛馬装削蹄場所跡は、当地域を南北に縦断する稲荷中江用水と当町内会のほぼ中央を通る農道が交わる所で、用水のたもとに位置します。
この場所は、旧今泉集落の人々が飼育する農耕牛馬の日常的な洗い場として、また、年2回の牛馬の装削蹄場所として利用され、人々の交流場所ともなっていました。
そのような中、馬頭観世音碑は、江戸時代末期の弘化3年に今泉集落の農耕牛馬の無病息災と供養を祈願してその一角に建立されました。
以来、当町内会は、春耕前の4月18日を祭礼日として定め、毎年、農家組合の主管により往時を偲ぶとともに五穀豊穣をきがんして農家際を実施しています。
上越市「地域の宝」に認定されたことに組合員一同まことに感謝に堪えません。継承されるべき歴史、文化が年が過ぎるごとに粗雑となり、次第に忘れ去れようとする中で、昭和55年から農家組合が中心となり、祭礼と供養を続けてきております。
馬頭観世音碑の建立は古く弘化3年3月で、当時の今泉(現大和二丁目)の馬持は10数戸であり、この人たちが組合を作り、馬の供養と会員の親睦を図ったそうです。その後、失われていく古里の風習を残そうと昭和55年頃から町内行事の一環として農家組合が主管となり、毎年4月18日の祭礼日(農家祭)に町内代表はじめ、農家組合員が参列する中、神主さんから供養の祝詞を挙げていただいております。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。