岩手城山の本丸の様子(1枚目)、本丸に祀られている石祠(2枚目)
本丸からの眺め(3枚目)、本丸近くの堀切。岩手城山は多くの堀切により守られる(4枚目)
岩手城は、標高150メートル、尾神岳から日本海に向かって伸びる尾根上に築かれた中世の山城です。
東西600メートル、南北450メートルの範囲に郭・空堀等を巧みに配した規模の大きな山城で、尾根を分断するように30ヶ所以上の堀切が設けられ、守りを堅くしています。
城の周囲2キロメートル以内には柿崎景家創設の楞厳寺、米山別当密蔵院などがあり、城下には柿崎川、大出口川が流れ、川を使った物資の輸送にも適しており、また、安定した稲作地帯でもあり、経済・宗教・交通の面から頸北地方の中心であったと考えられています。
岩手城は宇佐美氏の城と言われています。永正13年(1513年)の守護上杉定実と守護代長尾為景の権力抗争の際に、宇佐美一族は岩手城で討死したと伝わっています。
また、規模の雄大さ、柿崎氏支配地の中心に位置することから、柿崎景家の本拠地として利用されていた時期があったとも考えられています。
毎年6月、申請者の岩手町内会が山道と山頂の草刈りを行い、草刈り後、麓にある圓田神社の宮司が本丸跡にある石祠の前で祭事を行っています。
岩手町内会
岩手城山は、東西広範囲に郭・空堀等を配し、30ヶ所以上の堀切を設け、守りを固めていた山城です。中世の時代に築かれてから現在まで、歴史有る岩手城山において毎年町内会でお祭り行事を継続している事に大変意義深く思っています。山頂からは、雄大な霊峰米山を仰ぎ見、麓には岩手、米山寺等の集落がパノラマ風景として目に入ってきます。山城に興味のある方はぜひ散策して回ってください。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。