板倉区栗沢・大野集落から、清里区福淨寺へ預けられた木造阿弥陀如来立像(1、2枚目)
平安時代末から鎌倉時代において、山寺の焼き討ちから逃れた僧がこの仏像を背に板倉区栗沢の旧家に身を寄せて預け、西源寺の本尊になったと言い伝えられています。西源寺は昭和5年に廃寺となってしまいましたが、その後、栗沢と大野集落で守護され、昭和22年からは清里区の福淨寺の本堂内陣に安置され、現在に至ります。
木造阿弥陀如来立像は、寄木造で、水晶の玉眼が嵌入(かんにゅう:はめ込むこと)されており、像高は62センチメートルです。制作年代は鎌倉時代の可能性が考えられますが、顔は後補とみられ、室町時代の特徴を持ちます。全体に漆箔が施され、唇に朱が残っています。
平成7年までは4年ごとに栗沢・大野集落への里帰り法要が行われていましたが、現在は行っておらず、代わりに年始や報恩講に両集落の人たちが福淨寺を訪れています。また、福淨寺の法要・法座に訪れた多くの人たちがお詣りをしています。そのほか、福淨寺や両集落有志による熱心な調査研究も続けられています。
木造阿弥陀如来立像は、歴史的背景からも両地域の人たちの心のよりどころとなっています。
宗教法人 福淨寺
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