乳母嶽神社境内の様子(1枚目)、社殿には様々な彫刻が施されている(2枚目)
現地に設置された周辺の案内看板(3枚目)
神社の創立年は不明ですが、伝承では奴奈川姫の陵に石祠を安置したのがはじまりとされ、平安時代、源義朝の臣、野宮権九郎がこの地で隠棲した際に沖合いから引き揚げた不動明王の像を合祀、室町時代には「我を社殿の下七尺の土中に埋めよ。又、一切の婦人で乳汁が不足するものは我を祈れ。そうすれば速に授乳しよう」との不動明王の告げにより像を埋め、乳石不動尊と称されるようになったと伝えられています。
明治5年、乳母嶽神社となり「授乳の神様」「子育ての神様」として信仰を集め、明治・大正時代には近隣のみならず全国から参拝や代参が行われていたとされています。
社殿には、波間の亀と竜、鳳凰等様々な彫刻が施されています。
神社の前には加賀街道が通り、活動団体の茶屋ヶ原町内会では、神社境内はもちろん、街道も一帯とした清掃や草刈、看板設置等、保存・活用の取組を行っています。春祭り(4月)、秋祭り(10月)には集落の方々が集い、五穀豊穣を祈願しています。
茶屋ヶ原町内会
乳母嶽神社は旧北国街道(加賀街道)沿いに位置しており、乳母の神様として安産や子育ての神様として古くから信仰されています。
神社の彫刻などが素晴らしいと思います。集落から少し離れていますが、案内板も設置してありますので、ぜひ参拝に来てください。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。