毘沙門堂全体の様子(1枚目)、木造毘沙門天立像(2枚目)
毘沙門堂案内看板(3枚目)、ご縁起看板(4枚目)
例大祭の様子(5、6枚目)
滝寺毘沙門堂は、米山薬師開山の泰澄大師が桜の霊木で毘沙門天像を刻み、開眼(仏像に魂を入れ供養する儀式)の日に、山の麓に滝のある地に祀れと夢の告げがあり、その地を探したところ、五色の光が立ち昇る滝の地(滝寺)にたどり着き、和銅5年(712年)に堂(吉祥寺)を建立し、像を安置したことが始まりと伝えられています。
坂上田村麻呂が桓武天皇の勅命により、東夷征伐の際に必勝を祈願し大願成就したと伝えられ、また、上杉謙信公も篤く信仰し、出陣の際に必ず戦勝を祈願したとも伝えられています。慶長5年(1600年)の上杉遺民一揆の際、堀氏により堂塔伽藍が焼かれ、その後、近郷近在の人により堂が再建されました。堂の礎石には、鎌倉時代のものとみられる五輪塔が転用されています。
堂内に安置される木造毘沙門天立像は、堂再建の際、招来したものとされています。憤怒の表情で、右手に三叉戟を持ち、左手は腰に手をあてています。像高64.5センチメートルで、体幹部は一材で製作され、動きのある姿をしており、鎌倉時代後期から南北朝時代頃のものと推定されています。
そのほか、堂の改修時に屋根裏から見つかった江戸時代の奉納発句額は、滝寺集落開発センターにて、保管・公開されています。
滝寺町内会では、毎年4月3日に例大祭を行うほか、堂の管理、草刈りなど環境整備、調査研究、看板設置等の活動を行い、地域の宝の次世代への継承に取り組んでいます。
滝寺町内会
瞑想の森の中に静かにたたずむ滝寺毘沙門堂ですが、このお堂にまつわる宝を目にして驚き、後世に伝えていかなければならないと感じております。
毎年4月3日午前11時に例大祭を行います。どなたでも自由に参加できます。
大正15年(1926年)頸城平野の名所旧跡投票第一位(滝寺不動尊)であった滝寺へぜひともお出かけください。
滝寺には上越市指定の有形文化財(昭和16年1月7日指定)滝寺毘沙門天立像が保管されています。この像は、像高33センチ、青銅製で、右手は肘より先、左手は手首より先が失われており、木製の両手が後に補修されています。また、右手には戟(げき)と呼ばれる武器を持ち、足元には邪鬼を踏んでいたと推定されますが、現在は失われています。室町時代後期の制作と考えられています。上杉謙信が毘沙門天を篤く信仰し、謙信の祈願所と伝えられる「滝寺毘沙門堂」の本尊です。30年に一度御開帳される秘仏で、謙信が信仰した像として地域で大切にされています。
次回の御開帳は令和10年(2028年)です。
上越市「地域の宝」をご覧ください。