かに池公園内に立つ、蟹池地蔵堂(1枚目)、蟹池地蔵の由来を記した碑(2枚目)
お堂の中に立ち並ぶ地蔵(3枚目)、「イボ取り地蔵」「願掛け地蔵」とも呼ばれる蟹池地蔵尊(4枚目)
蟹池地蔵尊は、関川が蛇行湾曲していた頃の川跡が池となり蟹池と呼ばれていた場所を江戸時代に開拓した際、池の底から出土したものと伝えられています。言い伝えによると、ある日、霊夢があり、池より探し上げたといいます。
地蔵尊はかつての北国街道のかたわらにあり、「イボ取り地蔵」、「願掛け地蔵」として近隣の信仰を集め、街道を行き交う人々は道すがらお参りをしたり、休憩をしたりしていたといいます。
大正15年(1926年)、直江津の魚行商人たちの呼びかけでお堂が建立されました。その後、お堂は昭和30年に再建され、さらに、平成9年、関川東部土地区画整理事業の一環により、現在の場所へ北に数メートル移され、新たな地蔵堂が建立されました。堂内には、蟹池地蔵尊を中央に、両側に5体ずつ石仏が並びます。
活動団体の下門前町内会は、お堂の清掃活動、周辺及び歩道の除草作業などの維持管理や、蟹池の名称の由来となったとされる「蟹池伝説」の紙芝居を作成し、地元の有田小学校の地域学習で紹介するなど、次世代への継承に向けた様々な取組を行っています。
蟹池伝説(概要)
旅の画家が安江に住む石田という旦那が買った金屏風に絵を描いたところ、子どものいたずら書きのようなものだったので、旦那が怒りました。画家が「いけないというなら消しましょう」といい、棒をもって屏風の端から「シッ、シッ」というと墨跡がカニになって絵から出て、水だらいに入っていきました。この画家は名前を聞かれて「狩野法眼(元信)」と答えたそうです。
そして、水だらいに入ったカニを捨てた池は蟹池と呼ばれるようになりました。蟹池にはかつてカニがたくさんいたそうですが、絵から抜け出たカニなので、柔らかすぎて食用にならなかったといいます。
下門前町内会
下門前の移り変わりを見守ってきた蟹池地蔵尊。土地区画整理事業により、今は商業エリアの東側、蟹池公園のお堂に鎮座しています。
その蟹池にはおもしろい言い伝えがあり、それを基に紙芝居「たびの絵かきと きんびょうぶ」をつくりました。定期的に町内会館で上演しますので、お子さんと一緒にぜひおいでください。
また、買い物に来たついでに、蟹池公園でゆっくりくつろぎのひと時を過ごすのはいかがでしょうか。
「上越市「地域の宝」」をご覧ください。