はしごの上で、ダイナミックな技を披露する様子(1枚目)、一本遠見(2枚目)
板倉の「はしごのぼり」は明治20年(1887年)年頃、中頸城郡針村の消防組合で行われたのが始まりとされています。
当時、針火防組に所属していた峰村治作が、江戸の町火消し「いろは48組」の組員と知り合い、「はしごのぼり」の技を習得し、その後、帰郷した峰村は針火防組に技を教え、近隣の高野消防組合にも技術が伝えられました。かつては針のほか、田井、南中島でも行われていましたが、現在、板倉区では高野地区のみが行っています。
名調子の木遣り唄とともに士気の高揚を図り、鳶口(とびくち)ではしごを支える団員のかけ声に合わせ、約7メートルもの高さのはしごに勇ましく駆け上がる乗り手が、「一本遠見(いっぽんとおみ)」などダイナミックな技を決めます。
板倉の「はしごのぼり」は、活動団体である板倉方面隊のシンボル、誇りとして、先輩から後輩へ技術の継承が図られています。夜、仕事を終えた後、集落の寺院等で集まって稽古を重ね、出初式や総合訓練等で披露しています。
上越市消防団板倉方面隊
板倉の「はしごのぼり」は、明治時代、「江戸の町火消し」の技が板倉に伝わったことがルーツといわれています。
上越市消防団板倉方面隊では、現在でも「はしごのぼり」の技を日夜練習し、技術の練磨を図っており、出初式や総合訓練等の消防行事で披露しています。「はしごのぼり」の技術と精神は、消防団員の誇りとして今でも伝承されています。
これからも、歴史と伝統ある、板倉の「はしごのぼり」をみんなで守り続けていきます。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。