地中探査の様子(1枚目)、三郷小学校文化祭での展示の様子(2枚目)
ジオラマ制作作業の様子(3枚目)、講演会の様子(4枚目)
奈良時代の越後国分寺はいまだ発見されておらず、推定地が数か所指摘されています。三郷地区にある「本長者原廃寺」も、古代の越後国分寺の可能性が高いとされている遺跡の一つです。
本長者原字江端の畑の中には昔、一辺が九尺(2.7メートル)で、中央に直径三尺(90センチメートル)、高さ五寸(15センチメートル)ほどの突起がある大きな石があったと伝えられています。この辺りは古くから長者屋敷と呼ばれていたため、「長者原の蔵の礎石」と伝えられてきました。このような形をした石は、古代のお寺の塔を造る際に、中心になる柱(心柱)の根元に据えた「心礎」であると考えられます。
遺跡から布目瓦が見つかっていることも、この地に古代の越後国分寺があった可能性を示す重要な手がかりの一つといえます。
三郷地区の歴史・史跡を研究する会
航空写真や明治時代更正図から昔の地形を調べたり、本長者原廃寺の地中レーダー探査をしたりして、古代の越後国分寺がどこにあったのかをさがしています。
ジオラマ制作することで立体的地形による地域の歴史・文化を学びました。
会の活動は11年目を迎えておりますが今後も古の上に現在、未来があることに感謝しながら進めてまいりたいと思います。
(注)上越市五智にある「越後国分寺」は、戦国時代に上杉謙信が再興したものと伝えられています。
上越市「地域の宝」をご覧ください。