気比神社春祭りで披露した猫又伝説の講談風の劇(1枚目)、五穀豊穣を祈る気比神社春祭り(2枚目)
中ノ俣集落の「猫又伝説」は天和3年(1683年)、当時の中ノ俣村を襲った妖魔を村人である牛木吉十郎が退治した伝説です。当時の退治の様子や、死骸を高田の役所に収めるために細かく採寸し目録をつけたという内容の古文書が残っており、史実であるとされています。退治の褒美として当時の代官岡登治郎兵衛から授かった帷子(かたびら)と風呂敷、刀を吉十郎の子孫が代々守り伝えています(現在は上越市歴史博物館で保管)。 また、猫又の死骸は南土橋(現大町1丁目)に埋められたとされており、その付近に建てられた土橋稲荷は現在も「猫又稲荷」と呼ばれています。
猫又退治の様子を綴った古文書は物語調に脚色されたことが見受けられますが、活動団体は、中ノ俣集落で「実際にあった話」として口伝で語り継がれているという文化やその背景を納得させられるだけの地域に残る生活文化や地名などが引き継がれていることこそが貴重な文化と捉え寸劇や看板、紙芝居などで次世代への継承が図られています。
特定非営利活動法人 かみえちご山里ファン倶楽部
上越市西部中山間地域を拠点として、地域の自然、景観、文化、地域産業を「守る・深める・創造する」ことで、新たなコミュニティの創出と、持続可能な農山漁村を実現することを目的に活動しています。
中ノ俣集落の、自然と共にある暮らしのありかた、一人ひとりが生きる知恵と技術に溢れながら、いざというときには団結し支え合うコミュニティの姿、それを理解すればするほど、「猫又」は実在していたと思えるようになってきます。そのぼやけていた輪郭がありありと見えてくるとき、少しでも中ノ俣のDNAを引き継ぐことができる信じ、これからも伝える活動を行っていきます。
「上越市「地域の宝」を認定しました。」をご覧ください。