歌碑(1枚目)、菱田大池沿いの歌碑への道(2枚目)
碑に刻まれた歌(3枚目)、地元中学生への説明(4枚目)
菱田で生まれ育った歌人山田あき(1900-1996)の生誕百年を記念して、山田あき歌碑建立実行委員会が全国の方々からの寄附により、平成12年に建立した歌碑です。
山田あきは県立高田高等女学校(現在の県立高田北城高等学校)卒業後、上京し、生涯歌人として東京で過ごしました。兄は、書家、篆刻家、歌人であり下保倉村長を務めた村松苦行林(くぎょうりん)です。
歌碑は、山田あきが子供の頃に遊び生涯想い続けていたとされる故郷の菱田大池のほとりに建立されています。刻まれている歌「うつしみの終のあぶらをすてにゆく越の深山は水の音する」は、山田あきが88歳の時に出版された第五歌集「牀上の月」から選ばれました。「この世の命が尽きなんとするその時、私の魂の帰るところは故郷菱田の山上の沼辺、そこには沼辺から不断に湧く水の音がする」と死を見据えた山田あきの切々たる望郷の歌と考えられています。
菱田町内会
菱田の歌人として、地域の宝(菱田の宝)として、集落の活動団体菱壮会の皆さまの協力で春には観桜会など行っており、菱田町内会として後世に継承していきたいと思います。
「上越市「地域の宝」を認定しました。」をご覧ください。