芳澤記念公園(1枚目)、記念館「米南荘」(2枚目)
年2回実施する学習会の様子(3枚目)と公園の清掃の様子(4枚目)
芳澤謙吉は明治7年(1874年)に新潟県中頸城郡下堀之内村(現上越市大字諏訪)生まれで、我が国きっての亜細亜通外交官として知られています。
日ソ基本条約締結による日ソ国交回復や、太平洋戦争開戦を控えての蘭印経済交渉や仏印交渉、また、犬養内閣の外務大臣を務めるなど、幾多の難局において、重要な役割を果たし、外交官としての生活は60年に及びました。
芳澤記念公園、記念館は芳澤謙吉生誕の地の宅地を一部改造し、昭和33年(1958年)に設置されました。
園内には謙吉翁の晩年の姿をモデルとした銅像や、翁の業績を記している「けんしょうの碑」、翁の両親や家族を思う気持ちが記された石碑や記念館「米南荘」等があります。
記念館「米南荘」は、翁が中国大使から帰国した後に、住んでいた東京都世田谷区下吉祥寺の自宅にあった茶室を昭和35年に移設したもので、現在は記念館として整備され、翁と交友のあった吉田茂、前島密、緒方竹虎、犬養毅などの書簡、辞令、勲章、写真などが陳列されています。
芳澤謙吉翁顕彰会
芳澤謙吉翁の外交官生活60年にわたる功績を顕彰する活動を行っています。
芳澤記念公園、記念館は、諏訪区出身の外交官・外務大臣をつとめた芳澤謙吉翁の生家跡にあります。
外交60年、激動の時代に利益と道義のはざまで、国益のために奮闘した芳澤謙吉翁を顕彰するために設置されました。
ぜひお出でいただき、往時と変わらぬ風の中で、謙吉翁の足跡を偲んでいただければと思います。
「上越市「地域の宝」を認定しました。」をご覧ください。