芳澤記念公園入口からの景観(1枚目)、謙吉翁銅像、けんしょう碑(2枚目)
米南荘と茶会(3、4枚目)
記念館「集会所」(5枚目)、年に2回実施する記念館での学習会(6枚目)
昭和13年に建碑された両親追悼の碑(7枚目)、年に3回実施する公園清掃風景(8枚目)
芳澤謙吉翁(明治7年(1874年)1月24日~昭和40年(1965年)1月5日)は、新潟県頸城郡堀之内村(現上越市大字諏訪)出身の、我が国きっての亜細亜通外交官として知られています。
日ソ基本条約の締結による日ソ国交回復や満州事変への対応、太平洋戦争の開戦直前での蘭印経済交渉や仏印軍事協定の調印、犬養内閣の外務大臣を務めるなど、我が国が直面した幾多の難局にあたり重要な役割を果たしてきました。中華民国大使を免官になるまで、外交生活はおよそ60年に及んでいます。
芳澤記念公園・記念館は、芳澤謙吉翁生家跡に昭和33年(1958年)、34年に創設されました。公園内には、芳澤謙吉翁晩年の姿をモデルにした銅像、経歴と功績を記した碑「けんしょう」、両親や家族を思う気持ちを刻した石碑、記念館、台湾から帰国した頃のご自宅、東京・吉祥寺から移築した茶室「米南荘」などがあります。記念館、米南荘には、謙吉翁から寄贈された書簡、賞状、辞令、勲章、写真などが陳列、展示されています。
芳澤謙吉翁顕彰会
芳澤謙吉翁の外交官生活60年にわたる功績を顕彰する活動を行っています。
芳澤記念公園、記念館は、諏訪区出身の外交官・外務大臣をつとめた芳澤謙吉翁の生家跡にあります。
外交60年、激動の時代に利益と道義のはざまで、国益のために奮闘した芳澤謙吉翁を顕彰するために設置されました。
ぜひお出でいただき、往時と変わらぬ風の中で、謙吉翁の足跡を偲んでいただければと思います。
上越市「地域の宝」をご覧ください。