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焼山城址関連施設

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年2月24日更新

焼山城跡本丸の石碑(写真) 焼山城跡本丸からの景色(写真)

焼山城跡本丸にある石碑(1枚目)、本丸からの風景(2枚目)    

謙信公根越三城将供養堂(写真) 宮島館跡源姓宮島氏略譜碑(写真)

謙信公根越三城将供養堂(3枚目)、宮島館跡源姓宮島氏略譜碑(4枚目)

  • 認定番号:37
  • 名称:焼山城址関連施設
  • (名称ふりがな)やけやまじょうあとかんれんしせつ
  • 地域:板倉区
  • 所在地:上越市板倉区曽根田字焼山ほか googleマップ(外部リンク)
地図の読み込みに関する問題が発生したとき

上杉謙信に仕え、この地を治めた宮島氏の史跡と記録

 焼山城は、信濃方面へと至る関田街道を監視するための重要な城であったと考えられます。
 城主であったといわれている宮島若狭守吉房は上杉謙信・景勝に仕えました。景勝の移封にともない、宮島氏も会津・米沢へと移り住みましたが、家臣の丸山氏は宮島の地に戻り、宮島氏先祖の墓を守り続けました。

 天保十二(1841)年、宮島氏子孫の貞剛が宮島の地を訪れて丸山氏子孫の八右衛門に会い、宮島・丸山の両氏は約200年ぶりに「再会」を果たしました。これを機に丸山八右衛門が建立した石碑などにより、当地と宮島氏の関係が現在に伝わっています。

  • 焼山城址
     正確な築城時期や城歴については不明ですが、地元では宮嶋若狭守吉房の居城と伝えられています。城域には空堀や馬道(物資輸送などのために馬が通れるよう造成された道)の跡などが残っています。本丸にある「宮嶋若狭守吉房之城」の石碑は、天保十四(1843)年に丸山八右衛門によって建立されました。
  • 謙信公根越三城将供養堂
     戦国時代に根越の地を治めた宮嶋若狭守吉房(焼山城主)、高梨源五郎(小嶽山城主)福王寺彦八郎孝重(御殿平城主)、の三氏を「根越三城将」と呼んでいます。昭和四十三(1968)年8月、曽根田・別所・福王寺の集落有志によって建立されました。
  • 宮島館跡源姓宮島氏略譜碑
     もとは宮島氏の館であったとされる場所で、宮島氏が移ったのちは丸山氏が居住しました。石碑は焼山城本丸の石碑と同じく丸山八右衛門による建立です。また、略譜によると宮島氏は、源義家の十一代子孫の従五位下修理亮貞家が、居住していた土地の名前である宮島を氏名としたことに始まるとのことです。

活動団体

焼山城狼煙を上げる会

活動内容など

  • 平成21年の会設立以降、毎年8月に謙信公祭狼煙上げに参加。
  • 狼煙上げの前に山道の草刈り等の環境整備を実施。

活動団体からのメッセージ

  • 謙信公祭の狼煙上げは素晴らしい眺望の場所で行っています。城址関連施設を見学しながら是非狼煙上げにご参加ください。各山城をつなぐサミットとかツアーができることを願っています。

関連情報

その他の「地域の宝」

「上越市「地域の宝」を認定しました。」をご覧ください。

このページに関するお問い合わせ先

上越市

〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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