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瞽女ミュージアム高田

<外部リンク>
印刷用ページを表示する 掲載日:2024年6月21日更新

瞽女ミュージアム外観(写真)ミュージアム エントランスの様子(写真)ミュージアムの吹き抜け(写真)


瞽女たちの写真 瞽女ミュージアム内部の写真 瞽女たちの絵画

日本初の瞽女資料館「瞽女ミュージアム高田」

  • 認定番号:5
  • 名称:瞽女ミュージアム高田
  • (名称ふりがな)ごぜみゅーじあむたかだ
  • 地域:高田区
  • 所在地:上越市東本町1丁目2番33号 googleマップ(外部リンク)<外部リンク>
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>

高田瞽女の力強い生き様と互助の精神を語り継ぎ発信する

 瞽女(ごぜ)は目が不自由な女性で、各地を巡り、唄と三味線の演奏を披露する旅芸人です。昭和の高度経済成長期以前の娯楽の少ない時代、農山村の人々にとっても瞽女の巡業は数少ない楽しみの一つでした。

 高田の雁木が続く東本町のミュージアム界隈には、明治半ばの最盛期には親方の家が19軒あって、一緒に暮らす弟子を入れて89人が共同生活をして自立していました。瞽女の戒律はとても厳格なもので、弟子は親方の厳しい指導のもと芸を磨き、共同で規則正しい生活を送っていました。旅にあっては目が不自由なハンデを抱えながらも、およそ10キロ以上になる荷を背負い、互いに助け合いながら江戸時代の高田藩の範囲である上越一円から信州までの決まったルートを毎年巡業していました。高度経済成長期に入り社会や生活様式が変化する中、最後の高田瞽女の親方である杉本キクイさんはじめ養女のシズさんや手引きの難波コトミさん達が歩いた1年に300日の旅は昭和39年を最後に終わりましたが、その力強い生き様と農山村の人々との互助の精神は後世に語り継ぐべき上越の宝です。

 瞽女ミュージアム高田は、その姿を今に伝える記録映像や写真、瞽女の喜びと悲しみを絵画で残した斎藤真一画伯の作品などを展示するほか、資料の収集や瞽女文化を市内外に広く発信する活動を行っています。

活動団体

NPO法人 高田瞽女の文化を保存・発信する会

活動内容など

瞽女文化を全国に発信する為の活動を行っています。

  • 瞽女さんの記録映像や写真と様々な資料の展示
  • 「斎藤真一」画伯の瞽女を題材とした絵画作品の展示
  • 出前講座や企画展の開催
  • 年2~3回の瞽女唄演奏会
  • 6月中旬、高田瞽女ゆかりの地を巡るバスツアー
  • 2月上旬、高田瞽女の門付け再現
  • 各種資料の収集 など 

申請団体からのメッセージ

 「瞽女の文化」は、障がいを持っている方を暖かく包み込んで共に生きる「文化」です。
 かつての農山村の人々は、瞽女さんを共に生きる仲間として受け入れ、自立を支えました。
 人が生きる上で大切な心の優しさを、この瞽女ミュージアムで感じ取ってみませんか?

関連情報

その他の「地域の宝」

上越市「地域の宝」をご覧ください。

このページに関するお問い合わせ先

上越市

〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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