日本初の瞽女資料館「瞽女ミュージアム高田」
瞽女(ごぜ)は目が不自由な女性で、各地を巡り、唄と三味線の演奏を披露する旅芸人です。昭和の高度経済成長期以前の娯楽の少ない時代、農山村の人々にとっても瞽女の巡業は数少ない楽しみの一つでした。
高田の雁木が続く東本町のミュージアム界隈には、明治半ばの最盛期には親方の家が19軒あって、一緒に暮らす弟子を入れて89人が共同生活をして自立していました。瞽女の戒律はとても厳格なもので、弟子は親方の厳しい指導のもと芸を磨き、共同で規則正しい生活を送っていました。旅にあっては目が不自由なハンデを抱えながらも、およそ10キロ以上になる荷を背負い、互いに助け合いながら江戸時代の高田藩の範囲である上越一円から信州までの決まったルートを毎年巡業していました。高度経済成長期に入り社会や生活様式が変化する中、最後の高田瞽女の親方である杉本キクイさんはじめ養女のシズさんや手引きの難波コトミさん達が歩いた1年に300日の旅は昭和39年を最後に終わりましたが、その力強い生き様と農山村の人々との互助の精神は後世に語り継ぐべき上越の宝です。
瞽女ミュージアム高田は、その姿を今に伝える記録映像や写真、瞽女の喜びと悲しみを絵画で残した斎藤真一画伯の作品などを展示するほか、資料の収集や瞽女文化を市内外に広く発信する活動を行っています。
NPO法人 高田瞽女の文化を保存・発信する会
瞽女文化を全国に発信する為の活動を行っています。
「瞽女の文化」は、障がいを持っている方を暖かく包み込んで共に生きる「文化」です。
かつての農山村の人々は、瞽女さんを共に生きる仲間として受け入れ、自立を支えました。
人が生きる上で大切な心の優しさを、この瞽女ミュージアムで感じ取ってみませんか?
上越市「地域の宝」をご覧ください。