これは、昭和50年(1975年)10月に、浦川原区真光寺字倉下の熊野神社境内の経塚から出土したものです。鎌倉時代に造営された経塚と考えられています。
珠洲焼の壺と銅製の片口鍋が出土し、片口鍋は蓋の役割をして埋納されていたと考えられます。また、壺の周囲からは和鏡3面と刀子2口が出土し、ともに上越市文化財に指定されています。
和鏡は、秋草双鳥文鏡(2面。いずれも直径10.7センチ、縁厚0.7センチ)と梅花双雀文鏡(1面。直径11.6センチ、縁厚0.8センチ)で構成されています。
昭和59年6月22日に旧浦川原村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。