この甕は、頸城区大池の中の島にあるしらみ経塚の中央部で、水際に露出していたため発見されました。
経塚は、経典を経筒などに入れ、甕などの外容器に納め、埋めた塚です。後世まで仏法を伝えようとし、また、追善供養や現世利益などを目的に平安時代中期から近世にかけて行われました。
高さ62センチ、口径55センチ、能登半島で焼かれた珠洲焼の甕で、発見者によれば甕の中に小硯1点(上越市文化財)、中国銭5点、漆器1点が入っていたとのことです。法華経などの経典を埋納したものと考えられています。
昭和49年10月25日に旧頸城村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。