この書状は、本紙縦21.1センチ、横44.2センチで、上杉景虎が新春の祝儀として青銅五十疋(ひき)を贈られたことに対し、雲門寺へ宛てた礼状です。花押の形などから、景虎が相模から越後に来た元亀元年(1570年)から天正6年(1578年)正月の間のものと考えられています。上杉景虎は北条氏康の七男で、人質として越後に移り、謙信の養子となった人物です。この史料は謙信在世中のものとされ、景虎と柿崎氏、吉川地域との関係を示すものと考えられています。
平成14年10月17日に旧吉川町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。