この修路図は、上越市板倉区上関田から長野県飯山市温井へ通じる道路の改修工事を記念した絵図で、江戸時代の制作です。
上関田から温井までの道が通る関田峠は、上杉謙信によって軍用路として整備されて以来あまり手を入れられていませんでした。信州への最短の輸送路でありながら、険阻な峠道は人々の通行を阻んでおり、その苦労を見かねた別所村(板倉区)の藤巻勘之丞が自費による改修に着手しました。工事は弘化4年(1848年)から嘉永2年(1849年)までの二年間に及び、延べ2500人もの人の手により完成しました。
昭和57年12月13日に旧板倉町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。