この炉跡は、清里区馬屋集落の東方の丘陵に立地する黒保遺跡から発見されたものです。
黒保遺跡は、古くから縄文時代の遺跡として知られ、明治43年(1910年)7月には、当時東京帝国大学理科大学の教授として人類学を教えていた坪井正五郎が現地を訪れ、日本で初めて石囲い炉跡を発見し、「東京人類学会雑誌」第293号に「仕切りの有る火焚き場」として発表したと伝えられています。遺跡は現在1.84ヘクタールが市の史跡に指定されています。その後、同年8月に旧清里村の在野の考古学者、梅山寿三郎が黒保遺跡出土の炉跡を菅原神社境内の現在地に移して復元しました。
坪井は日本における考古学・人類学の普及と確立に尽力しました。
昭和49年12月13日に旧清里村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。