黒保遺跡は、明治43年(1910年)に東京帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)人類学教室の坪井正五郎によって、県内で最初に発掘調査が行われた縄文時代中期の遺跡です。
とりわけ、その時発見された石囲い炉跡(現在のいろりのようなもの)は国内初例として注目され、「先住民族の火焚場(ひたきば)」として学会誌に紹介されました(炉跡は菅原神社境内に移築復元され、考古資料として市文化財に指定されています)。
その後、昭和48年から49年にかけて新潟県教育委員会などによって改めて発掘調査が行われ、確認された1.84ヘクタールが史跡として指定されています。
昭和49年12月13日に旧清里村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。