この書状は、本紙縦36センチ、横700センチで、江戸幕府が上江用水下流の村々の用水組加入を公認した裁許状です。明和9年(1772年)、上江用水下流部31か村が下鳥富次郎を代表として用水堀継ぎを求めて江戸の評定所に直訴しました。必死の訴えを受け、翌年幕府は現地調査を行い、安永4年(1775年)に水路を堀り継ぎ、三年の試験運用を行いました。その後、上江用水組と長年にわたる交渉や訴訟の末、安永9年(1780年)12月4日付けで幕府から認められました。
現在、上越市立歴史博物館に収蔵しています。
平成16年11月30日に旧三和村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。