一本杖スキーの披露(1枚目)、女性は矢絣の着物に袴、男性はアルペン帽に軍服のような姿で披露(2枚目)
金谷山での一本杖スキーの指導(3枚目、4枚目)
明治44年(1911年)1月12日、当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐により、上越市(高田)において日本で初めて本格的なスキー指導が行われました。これが日本のスキーの始まりです。レルヒ少佐は軍事視察を目的に来日し、1年余りを高田で過ごし、その間、34回ものスキー講習が行われました。時の陸軍十三師団師団長長岡外史は、ヨーロッパ視察時にスキーを見て日本へのスキー導入の必要性を感じており、積極的にスキーを研究し、導入に力を注ぎました。
レルヒ少佐が伝えたスキー技術は、自らが祖国で習得した「リリエンフェルド・スキー滑走法」という、アルペンスキー技術でした。特徴としては、一本の長い杖(ストック)を使って、プルークという両足のスキーをハの字に開いたブレーキ動作を主に用いたもので、アルプスのような高所でも安全に滑ることができる点にあります。活動団体のみなさんは、技術書を紐解きながら、レルヒ少佐が伝えた一本杖スキーの調査研究を重ね、再現した技術の保存継承を図っています。
令和3年は1月にスキー発祥110年、10月にアルペンスキーの創始者でレルヒ少佐の師であるツダルスキーゆかりの地、オーストリアのリリエンフェルト市と上越市との姉妹都市提携40年を迎えます。
レルヒの会
日本スキー発祥の地として、レルヒ少佐、関係者の偉業を称え、その功績を顕彰、資料収集するとともに、一本杖スキー技術の研究・伝承活動を通して、日本スキーの発展に資することを目的に活動をしています。一本杖スキー技術についての活動は、以下のとおりです。
日本のスキーの原点である一本杖スキー技術は、明治44年(1911年)1月12日にオーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐の指導により始まりました。
そのスキー技術は10年ほどで二本杖スキーに変わり、現在のカービングスキーへと変化してきました。一本杖スキー技術は、レルヒさんの直弟子から孫弟子に、そして市内のスキー関係者に受け継がれ、平成6年からはレルヒの会が国内唯一の伝承団体としてレルヒ祭で紹介するなど、その伝承活動に取組んでいます。
上越市が全国に誇れる文化として伝えていきたいと思っています。
「上越市「地域の宝」を認定しました。」をご覧ください。