浄善寺本堂(1枚目)と内装(2枚目)、境内の大ケヤキ(3枚目)
本堂は様々な教室や催し、また、子どもたちの地域学習の場として利用されています。(4枚目、5枚目)
浄善寺の開闢(かいびゃく)は室町時代で、柿崎で親鸞聖人に出会われた夫婦が初代と伝わっています。
寺に残る歴史的な資料は、慶長年間以降のものが多数残されています。書状等からは、江戸時代に「柿崎御坊」と呼ばれる京都本願寺の出張所のような寺院として存在していたことが分かります。
また、親鸞聖人が旅路の途中に一夜の宿をとられた地として伝わっており、堂内には御枕石などが安置されています。
江戸時代から明治時代にかけて、三度の大火にあい、明治30年(1897年)の大火の際に本堂が全焼しました。現在の本堂は、昭和3年(1928年)に再建されたものです。(設計は大正時代)
再建の際には、火災に強い建物とするため、当時としては先端技術であった、SRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)により建築されました。
外観はインドのパゴダ様式を用いており、ゴシック建築と見間違えるほどです。
浄善寺本堂は令和元年12月5日に国の登録有形文化財に登録されています。
境内にある大ケヤキは推定樹齢400年を超えており、その悠然とした佇まいから長い歴史を感じさせ、訪れる人に感動を与えています。
浄善寺門徒講
浄善寺の財産保存、環境整備などの取組を行っています。
先人の方々は、世の中に明るさをもたらしたい、という願いを込めて当本堂を建立されました。そして、建立から今日に至るまで、保育園、戦時中の疎開先、災害の避難先、習い事教室、結婚式、葬式、イベント会場などと様々な事に利用され、多くの方々の人生と関わってきました。
大ケヤキもまた地域の喜怒哀楽の歴史を見守ってきた尊い存在です。これらの魅力を地域の宝認定を通して、より多くの皆様に知っていただければと思います。
「上越市「地域の宝」を認定しました。」をご覧ください。