写真:千曲川
「海と山の自然環境が結んだきずな」
平成18年3月6日、上田市など近隣4市町村が合併し、新しい「上田市」が誕生しました。
上田市は、千曲川の清流や真田昌幸が築城した上田城に象徴される自然と歴史、文化に恵まれたまち。上信越自動車道や北陸新幹線の開通により、都市発展の大きな好機を迎えています。新市の将来像として、「日本のまん中 人がまん中 生活快適都市」 をキャッチフレーズに、地方都市から情報発信できるような豊かな創造性と活力に満ちたまちづくりをすすめています。
海と山という自然環境の違いを補い合うように古くから交流が盛んでした。上越市の海には、上田市からも大勢の方が訪れています。
平成18年市制施行、人口約15万2000人。昭和54年11月5日、姉妹都市提携。また、災害時応援協定も締結しています。
上田市公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:米沢上杉まつり
「謙信公が結んだきずな」
米沢市は磐梯朝日国立公園の中心をなす吾妻連峰を有し、 豊かな自然に恵まれ、特色ある歴史と文化が息づくまち。 山形県南部に位置し、昔から置賜地域の中心都市として発展してきました。
現在、県内第1位の工業製造出荷額を誇り、「オフィス・アルカディア事業」 など重要プロジェクトに取り組みながら、21世紀に大きく羽ばたこうと しています。
戦国時代の英雄・上杉謙信公ゆかりの地であり、川中島合戦などを再現する「米沢上杉まつり」は春の最大のイベントです。
明治22年市制施行、人口約7万7000人。昭和56年10月7日、姉妹都市提携。また、災害時応援協定も締結しています。
米沢市公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:日本平から望む静岡市清水地区
「中学生交歓会が結んだきずな」
清水市と上越市は昭和29年から始まった中学生の交歓会を通じて50年間交流を続けました。
平成15年4月1日、静岡県中央に位置し、隣接している2市、城下町静岡市と港町清水市が合併し、新「静岡市」が誕生しました。さらに、平成17年4月1日には14番目の政令指定都市へ移行し、東海地方における中枢拠点都市として発展しています。
また、静岡市は自然環境にも恵まれ、10万4千ヘクタールの森林面積を有する緑豊かな森林都市でもあります。
平成15年4月1日市制施行、人口約67万6000人。平成7年10月22日、旧清水市と姉妹都市提携。また、集客プロモーションパートナー都市協定及び災害時応援協定も締結しています。
静岡市公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
集客プロモーションパートナー都市(外部リンク)<外部リンク>
写真:イルカ・鯨ウォッチング
「北海道航路が結んだきずな」
かつて、直江津港と室蘭港、岩内港はフェリー航路で結ばれていました。
室蘭市は北海道の南西部に位置し、特定重要港湾を要する重化学工業都市です。室蘭港は天然の良港として明治5年の開港以来、北海道の工業開発の歴史とともに歩み、諸外国との貿易にも大きな役割を果たしています。イルカ・鯨ウォッチング船が運行されています。
大正11年市制施行、人口約7万6000人。平成7年10月22日姉妹都市提携。また、災害時応援協定も締結しています。
室蘭市公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:岩内町全景
「北海道航路が結んだきずな」
かつて、直江津港と室蘭港、岩内港はフェリー航路で結ばれていました。
岩内町は北海道の南西部に位置し、紺碧の日本海とニセコ連峰岩内岳を望み、四季折々の自然に恵まれたまち。伝統的な産業である水産加工業においては、紅葉子、数の子、みがきにしんなどの加工地として全国に冠たる実績をあげています。観光では、断崖の眺めもダイナミックな「雷電温泉」をはじめ三つの温泉と二つの美術館のほか、楽しめるスポットがたくさんあります。
明治33年町制施行、人口約1万1000人。平成7年10月22日、姉妹都市提携。また、災害時応援協定も締結しています。
岩内町公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:たらい船(小木地区)
「佐渡航路が結んだきずな」
旧小木町と直江津は、カーフェリーが就航する佐渡航路で繋がれていることから交流がはじまり、平成16年3月1日、小木町を含め、10市町村で合併し一島一市の佐渡市が誕生しました。
令和6年7月27日に「佐渡島(さど)の金山」がユネスコ世界文化遺産に登録されました。
人口約4万9000人、面積885平方キロメートル。昭和63年7月16日、旧小木町と友好港湾都市を提携。また、集客プロモーションパートナー都市協定及び災害時応援協定も締結しています。
佐渡市公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
集客プロモーションパートナー都市(外部リンク)<外部リンク>
写真:山岡での寒天づくり
「寒天が結んだきずな」
恵那市は、平成16年10月25日、旧山岡町を含む1市5町村が合併により誕生した市で、岐阜県の南東に位置し、名古屋市から1時間ほどの距離にあり、中央自動車道恵那インターより中部経済圏と結ばれています。
旧安塚町と交流を行ってきた旧山岡町は、内陸性の気候で冬季の最低気温が極めて低く、その気温を利用した天然細寒天の生産は日本一を誇ります。旧安塚町から冬場の出稼ぎ先として、最盛期は数百人が寒天づくりに出かけていました。
平成16年10月25日市制施行、人口約4万6000人。昭和52年11月4日、旧安塚町が旧山岡町と姉妹町提携。
恵那市公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:瑞牆山
「戦国の相手方を親友に時を超えて結んだきずな」
北杜市は、平成16年11月1日に山梨県の北西部に位置する7つの町村が合併して誕生しました。
富士山・甲斐駒ヶ岳・八ヶ岳・瑞牆山・茅ヶ岳などの日本を代表する山々を望む美しい山岳景観に囲まれています。市の面積は山梨県下でもっとも広大な569.75平方キロメートルを有し、清らかで豊富な水資源、高原性の気候、日本で一番長い日照時間、歴史的な街並みや滞在型温泉地など、豊かな資源に恵まれています。
従来は養蚕や米作りを中心とする農業地帯でしたが、最近では観光の要素を取り入れた農業などの複合的な産業による観光地づくりを進めています。ミネラルウォーターは恵まれた自然をいかして全国有数の製造量を誇っています。
平成16年11月1日市制施行、人口約4万5000人。平成3年1月17日、旧柿崎町と旧須玉町が姉妹町提携。
北杜市公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:バラに囲まれた都電
「まつりが結んだきずな」
荒川区は東京都の北東部に位置し、隅田川に育まれた歴史と文化に支えられて発展してきました。
中小工場と住宅が混在し、人と人との温かな結びつきを守り続ける下町です。6月から8月にかけて区内の主な神社の境内は大勢の参拝の人でにぎわい、威勢のいい神輿が街へ繰り出し、下町気質が爆発する祭りは荒川ならではの熱気であふれています。荒川区の顔となっている都電「荒川線」は区民の暮らしに欠かせない気軽な足として親しまれています。
また沿線には約140種13,000株のバラの花が時期になると咲き乱れます。
昭和7年区制施行、人口約22万人。新潟県吉川町県人会が荒川区の公共施設で行われたことをきっかけに旧吉川町が昭和62年から交流。また、災害時応援協定も締結しています。
荒川区公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:東京ドーム700個分の面積を誇る渡瀬遊水池
「同じ町名が結んだきずな」
群馬県板倉町は、群馬県の最東南端に位置し北東は栃木県、南は埼玉県と接しています。
豊かな水を生かした渡良瀬遊水地のアクリメーション計画、ニュータウン計画、東洋大学誘致、東部日光線新駅の設置などにより、新しいタイプの田園都市として大きな飛躍が期待されています。
昭和30年町制施行、人口約1万4000人。昭和63年8月1日、旧板倉町と姉妹町提携。また、災害時応援協定も締結しています。
板倉町公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:宮古島市の青い空と海、白い砂浜
「人頭税廃止運動が結んだきずな」
宮古島市は平成17年10月1日、旧城辺町ほか、近隣5市町村が合併し誕生しました。
明治時代、沖縄の島民を苦しめた「人頭税」の廃止運動の中心だった「中村十作」が旧板倉町出身だったことから旧城辺町と昭和60年から交流が始まりました。廃税運動に取り組んだ郷土の偉人中村十作の名は、現在も語り継がれています。
平均気温が23.1度の温暖な気候、青く澄みきった海と空、白い砂浜。全日本トライアスロン宮古島大会の自転車コースとしても知られています。
平成17年市制施行、人口約5万6000人。旧板倉町が旧城辺町と昭和60年から交流。
宮古島市公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:町内より斜里岳を望む
「同じ町村名が結んだきずな」
清里町は、北海道東部知床半島のつけ根に位置し、大規模畑作農業地帯の平らな畑が広大に広がり、日本名山に数えられる秀峰「斜里岳」・神秘の湖「摩周湖」、「さくらの滝」など大自然に囲まれ緑豊かなまちです。
昭和30年町制施行、人口約4000人。旧清里村が平成8年から交流。
清里町公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:芸術むらから公園を望む浅間連山
「海と山の自然が結んだきずな」
東御市は、平成16年4月1日に北御牧村と東部町が合併して、誕生した市で、島崎藤村が詩に詠んだ千曲川と鹿曲川の清流とが織りなす豊かな風土と歴史に恵まれた美しいところです。
準高原的な内陸性の気候から、巨峰、クルミ、白土馬鈴薯やトウモロコシなどの農業が基幹産業。上信越自動車道東部湯の丸ICも立地しており、さわやかな気候の自然の恵みを生かし・発信する「元気発信都市」づくりを目指しています。
平成16年4月1日市制施行、人口約2万9000人。 旧名立町と旧北御牧村の議員交流が発端となり、交流を開始。平成11年11月、旧名立町が旧北御牧村と友好親善盟約締結。
東御市公式ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
上越市は、各市との間で、交流人口の拡大を目指した集客を効果的に実現するため、「集客プロモーションパートナー都市協定」を締結し、これを通じて、観光やイベントの情報など、集客に向けたPR活動をお互いに支援・協力しています。
佐渡市、長野市、甲府市、静岡市、藤岡市
各市の観光ページは、上越観光Navi(外部リンク)<外部リンク>からご覧ください。
上越市では、近隣自治体や姉妹都市などと災害時応援協定を締結しており、この協定に基づき災害発生時に被災自治体に対し相互に物的、人的支援を行っています。
締結市は、災害時応援協定等締結団体一覧からご覧ください。
上越市は海外の8都市と友好関係を結んでいます。
写真:スキーの専門学校
「レルヒ少佐が結んだきずな」
リリエンフェルト市は、オーストリアの首都ウイーン西方の 山間地にあります。主な産業は、林業と畜産です。
リリエンフェルト市は、今日のアルペンスキーの基礎を築いた マティアス・ツダルスキーが、レルヒ少佐にスキー術を教えた地。 そのスキー術はレルヒ少佐によって金谷山に伝えられ、上越市はスキー発祥の地となりました。現在は、市民の相互訪問などで 一層交流が深まっています。
1974年(昭和49年)市制施行、人口約2700人。1981年(昭和56年)10月7日、姉妹都市提携。
詳しくは、「姉妹・友好都市 「リリエンフェルト市」をご覧ください。
リリエンフェルト市ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:琿春市内の様子
琿春市は、中国吉林省南東部、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と ロシアの国境を流れる図們江の下流に位置しています。1992年(平成4年)に辺境開放都市に批准されてから、道路や高層ビルの建設、外国企業の進出が相次いでおり、対岸貿易の窓口として今後飛躍的な発展が期待されています。1996年(平成8年)には、産業・文化・スポーツ等幅広い分野での交流を図るため、上越市と「国際経済・文化交流関係についての協定書」に調印し、上越市と韓国・浦項市との3都市間で「国際経済・文化交流共同宣言」にも調印しました。
1988年(昭和63年)市制施行、人口約25万人。
詳しくは、「姉妹・友好都市 「琿春(コンシュン)市」をご覧ください。
琿春市ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
写真:浦項市で行われた第76回全国体育大会
浦項市は、大韓民国の南東部にある都市で、主な産業は鉄鋼業と農業です。特に1976年(昭和51年)に産業基地開発区域に指定されてからは、世界的鉄鋼企業であるPOSCO(ポスコ)を中心に工業都市として発展してきました。浦項港は天然の良港で、鉄鋼を中心にした多くの貨物を取り扱っています。1996年(平成8年)には、産業・文化・スポーツ等幅広い分野で交流を図るため、 上越市と中国・琿春市との3都市間で「国際経済・文化交流共同宣言」に 調印しました。
1949年(昭和24年)市制施行、人口約52万人。
詳しくは、「姉妹・友好都市 「浦項(ポハン)市」をご覧ください。
写真:康金街道の様子
康金街道は、黒龍江省の省都哈爾濱(ハルピン)市の中心部から東北へ60kmにある平坦で広大な農村地帯です。2001年(平成13年)から旧三和村との交流を開始し、翌年には友好交流協定を締結しました。2005年(平成17年)の市町村合併に伴い、新たに上越市の友好交流都市になりました。
人口約8万9千人。
詳しくは、「姉妹・友好都市 「康金街道(コウキンカイドウ)」をご覧ください。
丹東市とは1995年(平成7年)に直江津港と丹東市の間に定期コンテナ航路が開設されたことが縁で1996年(平成8年)に、産業・文化・スポーツ等幅広い分野での交流を図るため、「友好交流意向書」に調印しました。
ブラゴベシチェンスク市とは1997年(平成9年)に函館市で開催された第16回日ロ沿岸市長会において、両市長が意見交換を行ったことが縁で1998年(平成10年)、ブラゴベシチェンスク市市制140周年記念式典において、産業・文化・スポーツ等幅広い分野での交流を図るため、「友好交流意向書」に調印しました。
ブラゴベシチェンスク市ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
遼東半島の最南端に位置する大連市旅順口区とは、ともに桜の名勝地であることから、桜を縁として、1999年(平成11年)に、産業・文化・スポーツ等幅広い分野での交流を図るため、「友好交流意向書」に調印しました。
オーストラリア・ニューサウスウェールズ州カウラ市には、第2次世界大戦時、捕虜収容所が置かれ、そこで大勢の兵士が亡くなりました。上越市にもかつて捕虜収容所があり、オーストラリア人をはじめとする大勢の兵士が亡くなった歴史があり、平和を願う両市民の交流をきっかけに、2003年(平成15年)に、「平和友好交流意向書」に調印しました。
カウラ市との平和友好交流 カウラ市ホームページ(外部リンク)<外部リンク>