この文書は、34通から成っており、越後守護上杉家や越後守護代長尾家からの土地の寄進状が主なものです。室町時代から江戸時代のものです。寄進状の内容から、15世紀には居多神社の社領が頸城郡をはじめ、刈羽、古志、魚沼、蒲原の5郡にも点在していることが分かります。このほか、内乱を鎮圧した暁には社殿を造営する旨を約束した守護代長尾為景(上杉謙信の父)の祈願文なども残されています。写真は、初代越後守護で関東管領を務めた上杉憲顕が観応2年(1351年)に同社へ発給した寄進状です。
居多神社は延喜式内社として、また、越後国一宮として、古来、信仰を集めてきました。