天崇寺の山門
天崇寺は、明治20年(1887年)に長恩寺境内に極楽寺本堂を移築して合併してできた寺院で、寺の名前は、高田姫勝子(徳川秀忠の娘、松平光長の母)の法名「天崇院」からとられ、境内には、高田姫とその子の亀姫(初代高松宮妃)の墓があります。
この山門は、越後中将家の菩提寺として知られている旧長恩寺の山門です。記録によれば延宝2年(1674年)の建築で、建築年代がわかるものとしては市内最古の山門です。正面には、松平家が使用する三葉葵の紋章があしらわれています。この門は高麗門(こうらいもん)と呼ばれる、主に城門に用いられる形式で、その特徴として、開けた扉に雨があたらないように袖屋根が付けられています。扉も大きく、高さ3.23メートル、幅1.83メートルもあります。一説に高田城蹴出門(けだしもん)と同型とも伝えられています。