この梵鐘は、高さ132.1センチで、刻まれた銘文から、寛文9年(1669年)に高田藩主松平光長の母 勝子(高田姫)が鍋屋町(現在の東本町5丁目)の大鐘屋土肥佐兵衛藤原宅次に鋳造させたものであることがわかります。これは「時の鐘」として呉服町(現在の本町2丁目)の町年寄 吉田七兵衛の屋敷に設けられ、代々、七兵衛を名のる当主が、尺時計(日時計)などで時刻を計って、一時(2時間)ごとに昼夜12回打ち鳴らしたとされています。
明治9年(1876年)までの210年間、代々の七兵衛は昼夜なく時の鐘を打ち鳴らし、城下に正確な時間を知らせ続けました。その音は、はるか日本海まで届いたと伝えられています。また、「越後高田に過ぎたるもの」の一つとして、江戸時代の俚謡にも唄われています。なお、役目を終えた「時の鐘」は、瑞泉寺が譲り受け、現在にいたっています。