この像は、像高108センチ、ヒノキ材を用いた寄木造で、太子が16歳の時の姿で、父の用明天皇の病気平癒を祈った伝説をもとに造られたことから、「太子十六歳像」「孝養像」などと呼ばれています。像容は髪を角髪(みずら)という古代の男子の髪形とし、上衣をまとい、左肩より袈裟をかけ、沓(くつ)をはき、両手の持物は失われていますが、柄香炉を持っていたと考えられています。当初は玉眼と思われますが、後世に彫眼に改変されています。鎌倉時代後期の制作と考えられています。
寺伝によると、常敬寺が焼失したとき疎開したこの像が、代掻き(しろかき)の馬の鼻取りをして手伝った、という伝説があることから「鼻取り太子」とも呼ばれています。