これは、榊原家初代康政から13代政愛(12代政義を除く)までの歴代藩主の書跡を巻子装としたものです。写真は、8代政岑の書状で、金子を請けとった礼状です。
榊原家は、藩祖康政の徳川家康への功績によって館林(群馬県)10万石の大名に取り立てられました。その後、転々と領地が替わり、寛保元年(1741年)に9代政永が姫路から高田へ移封となって以来、6代約130年にわたって高田藩を治め、明治維新を迎えました。当時の高田藩は、相次ぐ自然災害や飢餓などで貧窮の状況が続き、その対策に苦慮しました。とりわけ11代政令(まさのり)は、自ら質素・倹約を実践したほか、稲荷中江用水の開削や学問の奨励・人材の登用などで藩財政の再建に努めました。榊神社に伝わる書跡は、こうした政策や学問の隆盛を裏付けるものとなっています。