この文書は、12通の書状から成っており、称念寺を開いた一鎮(1278~1355年)の書状のほか、長尾景虎(上杉謙信)や上杉景勝、松平忠輝の家老大久保長安など、ほとんどが領主からの寺領の寄進に関係する書状です。写真の天文24年(1555年)の景虎の寄進状には年貢や労役を免除し、寺には公権力が及ばないことを認めるという内容が記されています。このような特権を与えることは「御代々の判形で明らか」とあるので、称念寺への保護は越後守護代長尾氏のならわしであったことがうかがえます。
称念寺は上越地方に残る唯一の時宗寺院です。嘉暦2年(1327年)に遊行第六代の一鎮によって越後国府に創建されたと伝えられています。初めは応称寺といいましたが、2世の薗阿のときに称念寺と改称しました。現在地へは、高田築城のときに移りました。