この文書は、45通から成っています。このうち、高田藩主やその重臣からの書状43通は貼交屏風(はりまぜびょうぶ:屏風全体に様々な絵や書を貼り交ぜる)に仕立てられています。このほかに高田藩主・松平光長からの病気見舞(写真)が1通、長岡船道からの瑞泉寺の奔走に対する礼状が1通あります。
瑞泉寺はその前身を勝願寺といって、寺伝によると承久3年(1221年)に下総国(茨城県)磯部に創建されたといわれています。その後、信濃国水内郡南條村(飯山市)を経て、高田築城にともなって越後に移りました。勝願寺は、南條村にあった頃に火災に遭ったので古い記録は伝わっていませんが、慶長5年(1600年)以降の古文書が数多く残っており、その内の45通が文化財の指定をうけています。