この像は、像高4メートル84センチ、松材を用いた寄木造り(よせぎづくり)で、全身に漆が塗られ、金箔で装飾されています。元の像が元治元年(1864年)に焼失後、明治15年(1882年)に高田の仏師(仏像彫刻家)によって改めて新造されました。頭には五智如来をあしらった宝冠をのせ、手は膝上で法界定印を結んでいます。このことから、五智国分寺の五智如来の中央に安置されている仏像と同じ「胎蔵界大日如来」と考えられています。
寺伝によると、永禄2年(1559年)に旅の僧・仏元がこの地(現、北本町3)に立ち寄り、陀羅尼(梵語の呪文)を唱えて水害に苦しむ人々を救ったことから、「波除陀羅尼塚(なみよけだらにづか)」が築かれて、大仏が造られたといわれています。その後、罹災と復興を繰り返し、現在にいたっていますが、宝永5年(1708年)当時の大仏は、約10.2メートルもあったと伝えられています。
平成20年、道路改修工事に伴い、北本町3から現在地に移動しました。