この文書は、懇志請取状や本願寺12世教如からの手紙など、93通から成っています。戦国時代末期、織田信長と大坂にあった浄土真宗の石山本願寺が激しく対立した石山合戦に関係する古文書が多くあります。
石山合戦中の天正3年(1575年)、越前国吉崎にあった本覚坊は信長の侵攻で越後に逃れ、翌年、下野田の現在地に移りました。その直後から周辺諸村の信仰組織である「講」を世話して金品を取りまとめ、石山本願寺へ届けています。その都度、石山本願寺からは懇志請取状が発給され、それが殆んど原型のまま残されています。
写真の古文書は、教如が越後の講衆に宛てた書状です。内容は、講に集って阿弥陀如来を信仰すべきこと、越後から黄金を送られたことへの礼などのほか、この書状を講衆に披露すべきことなどが記されています。