この徳利は、高さ21.5センチで、肩から上には緑色の釉薬(ゆうやく)がかかり、胴の部分には鉄釉で2本の柳があしらわれています。安土桃山時代の制作と考えられています。
昭和63年に行われた四ツ屋遺跡(春日野、当時は大字大豆字四ツ屋)の発掘調査でほぼ完全な状態で出土しました。織部焼の出土例は県内では本遺跡と福島城跡(港町1)のみと少なく、また、全国に伝来している織部焼の中でも、徳利は極めて少ない器形とされています。
織部焼は、戦国時代の武将で茶人としても知られる古田織部が考案したことから、その名がつけられました。もとは、美濃(岐阜県)で焼かれた軟質の陶器で、古田は緑色の釉を多用して創造的な作陶を行いました。茶碗や水差に優品が多く、現在でも茶席で好まれています。