浄興寺境内にある本廟には、親鸞の頂骨(頭部の遺骨)が安置されています。弘長2年(1262年)に京都で亡くなった親鸞の頂骨は、その遺言により高弟の善性に託され、当時常陸国(茨城県)にあった浄興寺に納められました。その後、浄興寺は寺地を移しながらも親鸞の頂骨は守り続けられ、現在に至っています。また、本廟には本願寺3世覚如以降の歴代門主の遺骨も納められており、浄興寺が浄土真宗開宗の由緒を持つ寺院として厚く信仰されていたことを物語っています。本廟と本廟を囲む塀及び正面の唐門は6年の歳月をかけて明治21年(1888年)に完成しました。なお、本廟が造営される以前は、頂骨は本堂内の御霊屋(みたまや)に安置されていました。
本廟の正面にある唐門は、柱1本1本や妻飾りなどの細部にいたるまで、花や鳥、動物などの精巧で美しい彫刻が施されており、これらは名匠とうたわれた当市柿崎区出身(後、柏崎の篠田家の養子となる)の第四代篠田宗吉善則が棟梁となり、制作されたものです。