この書状は、本紙縦45センチ、横27センチで、長尾景虎(上杉謙信)の祖父にして、越後守護代の長尾能景が刈羽郡安田城主毛利重広へ宛てた書状です。発給された年は記されていませんが、内容から明応6年(1497年)と考えられています。毛利家は、代々検断職(けんだんしき:警察権・刑事裁判権を行使する役職)として守護上杉家に仕えました。また、能景は、明応6年に父の重景の菩提を弔うために春日山の麓に林泉寺を創建したことでも知られています。
書状の内容は、青苧(あおそ)にかける関税を、従来通り天王寺衆から集めるように重広へ命じたものです。天王寺衆とは、三条西家を本所とした青苧を扱う大坂の青苧座の商人で、越後国をはじめ、特産地から青苧を買い付けて売買していました。青苧は麻の一種で、上布の原料として珍重されたもので、越後守護上杉氏の重要な財源でもありました。