この書状は、本紙縦31.6センチ、横43.4センチで、関東に出陣中の上杉謙信が府内の蔵田五郎左衛門へ宛てたものです。年号は不明ですが、内容から永禄4年(1561年)のものと考えられています。この書状の中で、謙信は蔵田に敵の放火に注意する事と、出火した場合には当人及び町の頭を処罰することを命じています。謙信は、本書状を発給する直前にも、同様な内容の手紙を蔵田へ宛てています。このような書状を続けざまに発給する背景に、小田原城攻略が困難で、かつ長期にわたることを予期していたため、という見方もあります。また、謙信が長尾景虎から上杉政虎に改名するのは同年4月以降とされていますが、本書状が永禄4年とすると、すでに2月の段階で政虎の印判が用いられていることになります。