この書状は、本紙縦32センチ、横33.4センチで、上杉景虎が相州(現在の神奈川県)に陣を張っていた後藤左京亮へ宛てたものです。年号は不明ですが、御館の乱が起こっていた天正6~7年(1578~1579年)の間のものと考えられています。上杉景虎は、北条氏康の七男で、人質として越後に移り、上杉謙信の養子となった人物です。謙信が亡くなった後、同じ養子の景勝との間で跡目相続を争う「御館の乱」が起こります。本書状は、こうした情勢の中、景勝からの攻撃で苦戦になりだした景虎が、御館から後藤左京亮へ救援を求めたものと考えられています。