この名号は、本紙縦49.3センチ、横22.6センチで、本願寺12世教如の真筆として稱専寺(しょうせんじ)へ伝えられました。「南旡不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい)」の九字名号と左下に教如の花押があります。教如は慶長7年(1602年)に徳川家康から京都烏丸六条に寺地の寄進を受け、東本願寺を分立させた人です。分立後には現在の安塚区、浦川原区、牧区、三和区にも東本願寺の講が組織されました。この九字名号は、慶長7年から教如が没する慶長19年(1614年)までの間の書跡と考えられています。
昭和48年10月4日に旧安塚町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。