この像は、像高35.5センチ、カヤ材を用いた一木造で、額の白毫(びゃくごう:眉間に生えた白く長い毛が円形になったもの)や、左手の薬壺(やっこ)は失われています。目尻はやや上がって口元は小さく締まっています。目鼻立ちが小さく、やや童顔風な顔立ちから、平安時代末期に地方の仏師により制作されたものと考えられています。
本像は、もとは浦川原区有島の城鎮寺の本尊でしたが、廃寺となったため、明治時代に現在の顕聖寺に移されたといいます。
昭和58年12月23日に旧浦川原村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。