(写真1)
(写真2)
(写真3)
これらの土器は、鍋屋町(なべやちょう)遺跡で行われた昭和34年(1959年)の発掘調査で出土しました。深鉢形土器は一般的には煮炊きに用いたものと考えられています。
(写真1)
大きさは口径29.6センチ、高さ35.8センチ、底径10.4センチです。文様は、口縁部には短い粘土紐を縦に配置します。胴部の上半には粘土紐上に樋(とい)のように細竹を半分に割った半円状の道具で連続して渦巻き状に押しています。胴部下半には縄文を施しています。
縄文時代前期後葉~前期末の在地の土器(鍋屋町式土器)と考えられています。
(写真2)
大きさは口径22センチ、高さ(残存)21.5センチです。口縁部には粘土紐を貼りつけて、細竹を樋のように半分に割った道具を連続して押して文様を施しており、銅部には同じ道具で斜め方向の沈線文を施しています。
縄文時代前期後葉の関東から中部地方に分布する諸磯c式土器と考えられます。
(写真3)
大きさは口径25センチ、高さ26センチ、底径11.5センチです。口縁部には粘土紐を貼り付けて、三角形の鋸の歯のような文様を施しており、胴部には縄文を施しています。
縄文時代前期後葉の在地の土器(鍋屋町式土器)と考えられています。
昭和56年6月5日に旧柿崎町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。