この像は、瑞天寺観音堂の本尊で、木造毘沙門天立像(右)、木造不動明王立像(左)とともにまつられています。像高157センチ、ヒノキ材を用いた寄木造で、彫眼、像表面は漆箔で仕上げられています。頭上に十一面を頂き、胸前に合掌手、腹前に定印手を置き、左右に脇手をつくる千手観音通例のスタイルをしています。寺伝では、神亀3年(726年)行基が聖武天皇の命により諸国を巡教した際、自ら彫刻したと伝えられていますが、平安時代後期の制作と考えられています。当時、大潟耕地は大沼で一帯に葦が茂り、民家もなく、観音堂のある場所が島のように見えたことから、「島の観音堂」と呼ばれたといわれています。
寛永14年(1637年)、高田藩主松平光長の命によって大瀁新田の開発を行った際、沼の水が引かずに困難を極めましたが、本像に祈願しながら開発を進め、34年間にわたる開発が成功したと伝えられています。このことから、永く大潟大瀁の鎮守として祭られています。
昭和50年7月11日に旧大潟町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。